院長紹介
院長プロフィール
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広瀬 豊YUTAKA HIROSE
活動報告経歴
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1978年3月
兵庫県立兵庫高校卒業(65陽会)
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1984年3月
岐阜歯科大学卒業
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1988年3月
朝日大学大学院歯学研究科修了 歯学博士 (歯科矯正学)
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1990年7月
神戸市にて「広瀬矯正歯科」開設
現在に至る
所属学会・その他経歴
- 日本矯正歯科学会認定医・臨床指導医
- 日本顎変形症学会認定医(矯正歯科)
- 近畿矯正歯科学会会員
- 日本口蓋裂学会会員
- 朝日大学歯学部非常勤講師(歯科矯正学)平成3年4月~平成18年3月
- 兵庫県歯科医師会付属兵庫歯科衛生士学院 臨床実習講師 平成18年4月~令和4年3月
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私の矯正経験
まず、はじめに私自身の矯正治療経験からお話しましょう。もちろん治療する側の経験ではなく、される側のものです。
歯並びが気になりはじめたのは小学校3、4年生の頃でした。上の前歯が内側に、下が外側になっていたのです。その後さらに上の犬歯がはえてきて八重歯になってしまいました。格好悪いと言う気持ちとサ行の発音がしにくいのを強く感じていました。
何度も祖父と父に治してほしいと頼みましたが、全く話は進展しませんでした。ちなみに祖父も父も歯科医でしたが、小学生の私は歯科医なら誰でも矯正ができ、入れ歯のような物で簡単に治るものと当時は思い込んでいました。のちに矯正を勉強して行くに従って私の歯並びはそんな単純な装置では全く治らないということがわかってきました。そのころは本当にそう考えていましたから今考えるとかわいいものです。そういうわけで矯正治療を受けず、中学、高校と時は流れていきました。そして歯科大学に入り、卒業後の進路に矯正を選ぼうと決めたのをきっかけに矯正治療をついに受けることになったのです。22才の時でした。
しかし、その時すでに虫歯で大臼歯を1本失い、ブリッジになっていました。そのうえ成人するまで放置していたため、受け口の傾向が増し、かなりの難症例になっていました。それでもすばらしい先生の治療のおかげできれいに治りました。
ただ、以前より見た目は非常に良くなりましたが、欲を言えばいまだに発音はサ行が若干しにくいですし、骨格的には受け口の傾向は残っています。もっともこれに関しては私が専門家の目で見て感じるだけで、一般の方には気にならないレベルだと思いますが。また当時は最近のように目立たない装置もなく、今程大人が矯正治療を受けている時代でもありませんでした。私の場合まわりは歯科関係者ばかりでしたので普段は装置をつけているのが気になると言うことはありませんでしたが、やはり街に出て行くとどうしても矯正装置を意識したことを覚えています。
結局2本の小臼歯を抜いて治療したのですが、小学生の頃に始めていれば今の治療技術を持ってすれば抜かずに治ったのではないでしょうか。
また今なら外科矯正も選択肢のひとつとして考えたかもしれません。
痛みに関しては当時は装置も良いものが開発され始めた頃で前歯で物を噛むと少し痛い程度でほとんど気になりませんでした。これははかなり個人差があることと、私の場合長年の希望がかない治療に前向きだったこともプラスに働いたのかもしれません。矯正装置がはずれ、きれいな歯並びを得た時の気持ちはいまだに忘れることができません。矯正治療をして本当に良かったと心から思っています。
以上、私の20年以上前の経験を披露させていただきましたが、この経験を踏まえ治療する側からだけでなく、される側の立場にも立って診療することを心がけています。
ちなみに現在私のふたりの子供も治療を始めています。もちろん私の手で!2004.11